映画 静かな雨を語りたい

映画「静かな雨」を語りたい

 

1.「静かな雨」鑑賞後の感想を物語と合わせて語りたい。

人間は何で形成されているか?ということを考えさせてくれる映画でした。科学的に人間は、水:60~70%、たんぱく質:15~20%、脂肪:13~20%、ミネラル:5~6%、糖質1%と言われています。文献にもよりますが、実に無機質な返答内容です。では、より人間味のある考え方をすると、日々の記憶思い出でできていると考えることもできます。人と人がコミュニケーションをとる、出会う、生活をしていく中で、日々の積み重ねが記憶や思い出になり、人間を形成すると考えることができませんか?しかし、この映画は別の答えをくれたと私は思いました。それは、日々の思いで人間は形成されているのだと。

ここからは物語を紹介しながら語っていきます。

「静かな雨」の主人公は生まれながらに右足に障害をもった男性で名前は行助です。ヒロインはたい焼き屋を営み、不慮の事故で、高次脳機能障害を患い短期記憶障害となってしまう女性で名前はこよみです。2人の出会いは、仕事帰りの行助がたまたま帰り道に寄った、こよみの営むたい焼き屋のたい焼きがおいしかったことから始まります。タイトルに寄り添うがごとく、静かにゆっくり穏やかな雰囲気で2人を包み、少しずつ2人の距離は近くなっていきます。不慮の事故で、短期記憶障害を患ったあと、行助とこよみは一緒に暮らし始めます。初めは、生活をしていくうえで、短期記憶障害の障壁より、一緒に生活をしてく嬉しさが表在化されます。しかし、行助とこよみの生活には思い出が積み重なることができないのです。付き合い始めた男女のあるあるだとは思いますが、相手の知らない側面を知ったときの複雑な心境ってありますよね。そういう場面がこの映画にもあります。こよみの元カレが現れたり、九州出身であったり、大学を中退していたり、とあるピアニストのファンだったり、自分の知らないこよみがいることでの不安や焦燥感があります。本来なら知ることでの喜びがあるのですが、そこに短期記憶障害の障壁が生じているのです。2人で生活を始めたことで、行助の嫌いな食べ物はブロッコリーで、焼き芋を一緒にして楽しかったこと、窓ふきや庭の掃除を一緒にしたこと、一緒にたい焼きを食べた事、そんな積み重ね、そんな思い出を共有することができないのです。共有でないことが辛く、苦悩や不安ばかりが積み重なっていきます。そんな日に、こよみが用意してくれた夕食にブロッコリーがあったのです。ついに思いを吐露してしまいます。こよみが「なんて言えばよかったの?」と言って家を去っていきます。家には行助が1人で無機質な空間に1人となってしまいます。ふと視線を向けた先にはたくさんのポストイットがあります。そこに「ゆきさんは、ブロッコリーが嫌い」と書かれたものが置いてあります。忘れないように、忘れないようにこよみはしていたのです。こよみは必至に2人の生活を大切にしていたのです。そんなこよみの日々の思いが行助に伝わり、家をでてこよみを追うのです。結末までは記しませんが、ここまで書いてあるとわかるように、日々の思いが人間を形成していると感じませんか?

その日の記憶が失われてしまう=思いが失われるというわけではないという真実を教えてくれています。相手が嫌なこと、相手が好きなことを少しでも、次の日の自分のバトンを渡そうと、たくさんのポストイットに記していたこよみの思いだけで行助は十分でしたね。日々の思いがあれば、一緒に生きていけると。一緒に生活していけると。

ここまで、素敵で優しい映画ってありません。私はこの映画に出会えてとてつもなく嬉しかったです。日々の思いを大事に生きていこうと前向きな気持ちになりますし、人との関わりを大事にしよう、その日自分が思った気持ちや思いを大事にしようと考えられました。

なにより、この映画のポジティブポイントは、嫌いになるキャラクターが1人もいないことです。行助の仕事場の上司や後輩も、物語を展開していくうえで、行助に優しく接してくれて、絶妙な距離感で応援してくれています。こよみの周りには、たい焼き屋の客が出てきますが、こよみの生活の一部となっていて、違和感なく、こよみの楽しそうな生活の一面が見れます。

小説では、行助の姉とお母さんとお父さんが出てきます。一方で、こよみの背景には出てくる登場人物はいません。映画だけ、お母さんが出てきますね。そのお母さん役が、河瀨直美だとは・・・。衝撃でしたね。すべてアドリブで演じているのに、こよみの背景が色濃くなり、その人らしさを形成させてくれます。河瀨直美ってご存知ですよね。私は河瀨直美監督の作品で一番好きなのは「光」ですね。その監督が女優ってちょっとのシーンしか出ないのに出るとは!!奇才って怖いですね。河瀨直美監督のお母さん役をもっと見たいと思いましたよ。

さらに、この映画のポジティブポイントとして、綺麗な画なんです。雨のシーンも、階段のシーンも、こよみを追うシーンも、たい焼き屋の前で、行助とこよみがたい焼きを食べるシーンもなんですが、だいたいが引き画なんですよ。第三者として、2人を見ていることも楽しめて、全体的な景色も楽しめるんです。撮影が塩屋大樹という方で、中川監督が厳選したようです。撮影塩屋大樹の作品として好きなのは「君が君で君だ」ですね。この作品にも重要な雨のシーンがあります。私的に感じたことですが、調和が保たれた映像作りをしてくれる方という印象です。どのシーンを切り取っても、素敵に感じ取れると思います。

なにか嫌なことや、人生での転機があるときに、この映画を見返すことをオススメしたいです。物語が急速に展開してくことは全然なく、ゆったりと静かに楽しめる映画で、自分のもやもやをゆっくり整理できるきっかけになる映画だと考えています。そして、同じ事を繰り返しますが、日々の思いを、日々の対相手への思いを大事にしたいと、前向きに生きたいとと思える映画だと思います。

 

2.「静かな雨」の雨の言葉と合わせて語りたい。

まずこの映画において重要なのは行助とこよみの関係性の築き上げや生活や思いだと考えますが、雨に注目するとまた面白いと感じました。物語の時期は1月から2月後半となっています。

『冬の雨』という言葉があります。冬にこごえるような雨。細く冷たい雨が音もなく降り、わびしい感じがする。そして、冬の雨は春を予告する雨、人々に喜びをおくる雨と言われています。

こよみが行助のおでこにキスをするシーンがあります。そこは、階段で撮られていて、二人の身長差が絶妙な位置となりキュンキュンしてしまう大好きなシーンです。おでこにキスされたくなると思います。ってかされたい。めちゃくちゃ憧れのあるシーンです。ちなみにこのシーンは小説にはなく、中川龍太郎監督オリジナルです。まさか実体験かも。まぁ、おでこにキスをしたあと、行助は茫然自失となり、雨が降ります。この雨を私は『冬の雨』だなぁと思いました。祝福のようであり、こよみにも雨が降り注いでいるため、2人の世界が出来上がり、包み込まれたように感じ取れました。

他にも、『涙雨』という言葉があります。これは『るいう』と言います。涙雨とは、雨が降るように流れる涙、悲しみの涙雨のことを言います。近い言葉に『雨と雨』あめとさめと言います。同じ意味合いがあります。

映画の中で、思い出が積み重ならないため、徐々に息苦しさを覚えた行助が、こよみに対して「ブロッコリー嫌いって言ったよね。見るのも嫌なんだ。」と言い「あの元カレにもおでこにキスするの?」「同じ料理を作っているの」と涙ながらに訴えかけます。そのときに、こよみは「なんて言えばよかったの」と言い少し涙をうかべながら家を出ます。まさに、このシーンは『涙雨』を表している2人の姿だったと思います。このシーンまでは、2人が自分の思いを伝えることや、涙を流すシーンはありません。初めて2人が衝突してしまう場面です。そのため、実に有効的に、2人の関係性の変化や障壁が見られる重要なシーンでした。もちろん外には雨が降っているシーンです。

最後に、『雨夜の月』あまよのつきと読みます。これは、雨が降る夜の月は実際には見ることができないところから、逢えない恋人の姿を想像するときなどに言います。また想像するだけで、現実には見ることのできないものたとえ。

人間の思いって可視化することが難しいものだと思います。行助やこよみの関係性についても、たくさん思い合って生きているのに可視化することできないことで、不安へと繋がったんだと考えます。また、中川龍太郎監督は、月を不吉な予兆や象徴として描いています。2人の災難には月が静かに浮かんでいて、ラジオで小惑星の衝突について流れるシーンもあります。目の見えないものはなんとも言えない不安を生じさせるものです。この映画においてkeyとなる描写において、この言葉が当てはまると感じました。

また、雨と月に関係あるだろうと考えた場面があります。階段でのおでこキスを終えたあとに、こよみがとある行動をしていたことがわかります。「あの日は雨が降っていたのに月がでていたね。あれが綺麗だったからもう一度みにいったの」という台詞をこよみが言い、そして「このまま今日が終わってほしくないと思って。」と言います。こよみはあの日のことを大事にし、思い残していたいと考えていたのです。まるで、事故が起こり好きな人に逢えないことを示唆していたかのようですよね。考えすぎかもしれませんが。

 

3.「静かな雨」と合わせた映画について語りたい。

まず「静かな雨」という映画を見ながら、彷彿させる映画が2本ありました。

1つ目は、ムーラン・ルージュです。この映画の名台詞に『この世で最高の幸せは誰かを愛し、その人からも愛されること』があります。オーストラリアの監督、バズ・ラーマンの代表的作品といっても過言ではないです。なぜ、この「ムーラン・ルージュ」を思い出したかというと、行助の思いに焦点をあてたときに近い表現かなと考えました。2人の生活には、小さな幸せが詰まっています。1人は右足の障害をもった男性、もう1人は短期記憶障害をもった女性です。2人には障害というものが付き添っています。それでも2人で生活していくうえで、keyとなるのは互いに愛し合うことなのかなぁと。

2つ目は、海の上のピアニストです。行助とこよみの共通点といえば、おいしいものを共有できることです。この映画の名台詞に『何かいい物語があって、それを語る相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない。』があります。2人がたい焼きを食べておいしいと共有し、2人が焼き芋を食べておいしいと共有するシーンがあります。「静かな雨」の映画の特徴として2人の生活を多く切り取ってくれているため、他にも2人で生活や思いを共有しているシーンが見どころとなっています。2人の関係性を表した言葉って、まさに『何かいい物語があって、それを語る相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない。』なのではと思いました。

 

4.「静かな雨」のシーン毎に分けて語りたい。

好きなシーンが多いので、ここが私的に一番多く語りたいところです。

①冒頭の目の色について。

ぜひ、「静かな雨」の予告を一度見ていただきたい。予告の冒頭で流れますが、「目の色が好きだった」から始まります。そして、「引き込まれそうな湖みたいな静かな色だった。」と。なんか素敵な映画との出会いの始まりの予感がしませんか?続いて「半分はあきらめの色。私は嫌いじゃなかった。」と言います。この言葉が終盤のシーンに活きてくるのです。こよみが行助のことを、ちゃんと好きだったことが明確にわかる素敵なシーンなんです。半分はあきらめの色=右足に障害をもって生活をしてきた彼なりの妥協と決断力を示していると思います。小説に描かれていますが、こよみは「あきらめるのってとても大事なことだと思う」「でも、あきらめ方を間違えると、ぜんぶだめにしちゃうの。あきらめることに慣れて、支配されて、そこから戻ってこられなくなるのね。」とあります。障害があることでのあきらめや妥協を否定せず、肯定してくれている一節だと考えています。だからこそ、こよみは行助の足について何も聞かないし、足をひきずっていても荷物はもってもらうし、あっさりとした対応をしてくれるのです。これは、いらない気づかいをしないというえだ大切なことだと思います。他のシーンにおいて、行助は「大丈夫です。自分でもっていきます。」という台詞が出てきますが、こよみに対しては絶対この言葉は言わないのです。こよみが目の色から、その人の世界かを知ろうと行動した結果築かれた2人の完成系なのかなぁと考えました。

というより目の色が好きという台詞自体が最高に素敵だと思います。

 

②こよみ役の女優衛藤美彩(元乃木坂46)が魅せた、たい焼きを作るシーンについて。

衛藤美彩を見たときに思ったことは、可愛い、なんか透明感がありながら、どこか芯がある女性という雰囲気があり、高嶺の花のような印象を受けました。とりあえず、好きになりました。

撮影開始1週間前から、たい焼きを作る練習をされており、映画の中ではさながらベテランのような手さばきが見れます。お客さんに「熱いので気をつけてください」や「こげもう少し切りますか」や「袋どうぞ」と言いながらたい焼きを渡すシーンがなんとも自然なこと!!アイドルから女優なんてなぁ、馬鹿にできない演技力です。演技がうまいのではないですよ!ここ注意!自然な演技ということが大事なんです。

不慮の事故によって、短期記憶障害を患ったあとに、再度たい焼きを営みます。その時に、お客さんが待ってたかのように、たくさん来ます。その人達の掛け合いのあるシーンが続くのですが、事故前と変わらないこよみがそこにいるという感じ、こよみの日常や生活の一部を見れているという感じが、なんか好きでした。だからこそ、自然体な演技って大事だなぁと思いました。

行助に荷物をもってもらうシーンなんかも、まさに自然体で、こよみだったら絶対そうやって対応するねと納得します。行助からコーヒーをもらうときに、砂糖かミルクはいると聞かれますが、いらないと返答します。こよみは絶対ブラックコーヒーだと私も思いました。甘いものがそんなに好きじゃないだろうと思いました。衛藤美彩も、撮影場所でブラックコーヒーだと思いますと意見しているところはなんか嬉しかったです。また、衛藤美彩の中で、たい焼きを作る練習を毎日したことで、良い感じにアイドル感が抜けているのが見どころだと思います。アイドル感があることはデメリットではありませんが、良い感じに抜けている自然体な女性であることが、こよみを演じるうえで重要だと考えると、すごく良い役作りをされたんだと感じました。

衛藤美彩の魅力についてはぜひ「静かな雨」のメイキングも見て欲しいです。相手の行助を演じている仲野太賀からは、接しやすく果敢にいどむ人、中川龍太郎監督からは自分の役割をわかっている人と評されています。終盤のメイキング映像にて、衛藤美彩が立ち上がれなくなり泣いてしまう場面は必見です。彼女なりにこよみという役をどのように理解し、どのように取り組むかがわかり、その姿勢を知ると彼女の虜になってしまいます。ちなみに乃木坂については私は詳しくありません。この映画の衛藤美彩の演技が好きなだけです。

 

③おでこキスシーンについて。

前述しているので少しだけ。このシーンは絶対必見です。行助とこよみのとるスキンシップってこのシーンだけなんですよ。そして、「え?」って顔になる仲野太賀が良いんです。茫然自失ってこういうことかと思わせた演技でした。おそらく、行助って足の影響もあるのでしょうけど、女性経験が少ない、あと友人が少ない、人とのコミュニケーションが苦手なんだと思うんです。1人の女性を好きになり、こよみのことは高嶺の花なんだと思います。近づけないけど、たい焼き屋には日々通うし、壊れた猫の置物も買っていくし。彼の心ってすごくピュアでちょっと陰湿なんでしょう。嫉妬心も強そうです。そう思うと、予期しないおでこキスは、彼にとって青天の霹靂だったのでしょう。もしくは、彼の干ばつとした心に、干天の慈雨だったのかもしれません。茫然自失となるのも納得です。その後のシーンで、携帯番号を教えているから、いつ連絡くるかドキドキしている様もまさに、彼の人柄が出ていると思いました。全体を通してから、もう一度おでこキスシーン見てください。すごく好きになると思います。

 

④世界の話について。

こよみのたい焼き屋には常連客がいます。その一人に高校生がいます。受験や勉強について、自分ではわかっているけど、こよみに聞いて欲しくて話すシーンで人の世界について語るシーンがあります。

「私のうまれたところで、黄砂がふるの。あなたにとって黄砂は知識でしかなくても、黄ばんだスニーカーや生乾きのにおい、わかるかな、生活の一部、私の世界の一部なの」と言います。きっとこよみは相手を内包した世界をもつ女性であると思います。こよみの包容力を示す台詞だなぁと感じます。

続いて酔っぱらいの親父が、こよみのたい焼き屋によくきます。

そこで、スマホの写真をこよみに見せたり、自転車を蹴ったり、若干たちの悪い人なんです。数シーンしかないんですけど、いい味出しているんですよね。いいアクセントなんです。背景として、今までは通勤ラッシュの時間に必ずいて、仕事がなくなり、昼間から好きでもないお酒を飲み、ただ時間が過ぎていくだけの人生なんです。その様子をこよみと行助は観察しているんですね。

こよみと行助が一緒に帰り道を歩いているときに、酔っぱらい親父の話になりますが、「なんの話だっけ?」、「世界の話しかな」そしてこよみが「あの人のことを知れて良かったな。」と言います。なんかこれまた素敵な表現だなぁと思いました。

ただのお客で留めるのではなく、相手を理解し、相手の世界を知る、こよみの包み込むような人間愛を表しているように感じます。

 

⑤お母さん役の河瀨直美について。

不慮の事故で入院しているときにお母さんが突然現れます。裏設定として、中学生のときに手放した子供との再会らしいです。ただその設定だけで、アドリブで台詞を羅列していきます。「昔は名前こよみって名前いえなくて、みーちゃん、みーちゃんって呼んでたの。りんご飴が大好きで。こんなきれいなって、おおきなって、おんならしなったな。」と他にも台詞は続くのですが。ただのワンシーンだけで、こよみと母親の関係性がくっきりと浮かび上がるじゃないですか。切なさと愛おしさともどかしさが合わさってました。河瀨直美監督って女優までできる天才?奇才?なのかって思ったシーンでしたね。

そして、このお母さんって、自らのこどもを見捨てたようにも思えますが、決して絶対悪だと言えません。行助に名刺を渡して困ったら連絡するように、お金のこととかと言い残します。大事な子供だからこそ、できることの範囲をわかっているうえでの行動だと私は考えました。きっと、こよみは今までお母さんには頼らなかったのでしょう。

 

リスボンの話について。

リスボンっていうのは、こよみが飼っていたリスのことです。そのリスボンは、大好きな胡桃をひと齧りすると隠す癖がありました。あとで食べようとって置いたのですが、忘れてあちこち探します。リスボンが亡くなったあとに、あちこちから胡桃が出てくるという話です。まさに、忘れないように必死にポストイットに書いていたこよみと重なるんですよね。映画を2回目、3回目と見直すと、リスボンについて話すときの衛藤美彩の表情が絶妙で素敵です。

 

⑦ここに注目して欲しい!こよみが足をあげて座るシーン。

こよみが随所で足を抱え込んで座るシーンがあります。それは、行助とたい焼きを一緒に食べるシーン、川原で行助と一緒に座り朝焼けを見るシーンですね。どういう意味合いを感じるかは人それぞれですが、私はここに、こよみである所以を感じられました。こよみは自分の感情をおもてに出すキャラクターではありません。でも、足を抱え込んで座るという行為の裏付けとして、心を許せる存在が近くにいることを意味していると感じます。本来なら身を固める行為には、緊張や不安を示す、心を許さない相手といる、身を守るための防衛反応という印象があると思っていました。しかし、本作を見た時には、常に隣に行助がいるんです。行助がいるからこそできる行動ってあると思ったんですよね。それがおそらく足を抱え込んで座るということ。一緒に生活し、一緒に生きていける意味合いになっているのかなぁと感じました。

意味合いが異なっていたら恥ずかしいですが、この行為をしている衛藤美彩がまずかわいいから見てくれよという思いです。1人でたい焼きを営む女性って、強くなければいけないと思います。実際に、「強いよ」という台詞も出てきます。それでも、抱え込んで座る=小さくなる=弱い一面と考えてもいいのかなと考えました。

 

⑧ラストに繋がる朝焼けの映像と。

ブロッコリーなんて見たくもないよ」と行助が言って、家を出てしまうこよみ。こよみを追って辿り着いた場所は、とある川原。この川原で、2人は朝焼けを眺めます。そのときには雨も上がっています。空がきれいに、2人に日が差すように、2人を支えるように光が放たれます。きっと2人はこのこと忘れないだろう。日々の思いとして残っていくだろう。雨あがりのあの景色を。

このシーンは実に綺麗なシーンでもあるのですが、ナレーション有り(※視覚障害者用です。あまり障害者という表現が好きではないのでナレーションにさせてもらいます。)で観ることをオススメしたいです。ナレーションに「膝を抱えまっすぐみるこよみ。二人の見つめる先に広い川。水がすくなく川底が見える。向こう岸には山の斜面に住宅がならぶ。ライトを照らした車がいきかう。なだらかな稜線。紫がかかった雲。そらが茜色にそまる。太陽が金色にかがやく。稜線の向こうに薄明るく街が広がっている。」とあります。目を閉じてイメージしてみてください。画よりも言葉でイメージするともっときれいに思えませんか?

むしろ泣けてきます。行助とこよみが生活してきた道がより広がるような。とてつもなく温かい気持ちになりませんか?

これは、1度映像としてみてから、ナレーション有りで見てください。イメージがガラッと変貌する様を感じて欲しいです。そして、その楽しさや嬉しさを感じることができたそこのあなた。ぜひ、河瀨直美監督作品の「光」を見てください。ナレーションがあることでの意義を感じられます。

 そして、このシーンから「目の色」について再び語るこよみに繋がります。

ここまで読んでいただけら、もう一度①を読んでみて欲しいです。私の思いがもっと伝わる気がします。

 

⑨記憶を保存するのは脳?いや心臓?もしかすると腸?と考えさせてくれる教授とのシーン。

皆さんは記憶は脳であると思いますよね。海馬が記憶を保管する重要な一部です。脳が萎縮することや、脳梗塞を繰り返すこと、レビー小体などなど、人の記憶には主に脳が関わっています。他にも心臓移植してから、苦手だったピーマンが食べられたという症例もあり、実は心臓にも記憶が残っていると考えられます。また、人間は消化器官から少しずつ作られていきます。そのため、美味しいもの、まずいもの、食したら危険なものがわかります。それはきっと記憶、エラーを知っている可能性が考えられます。

教授と消化器官が記憶している可能性について会話するシーンがあります。

だからきっと、たい焼きの味を忘れないだろうと思います。行助と一緒に夜空を見ながら食べた、たい焼きの味と、初めて一緒に食べた、たい焼きの味を。ずっと覚えているのかなぁと思わせてくれました。

 

 ⑩最後に、ここだけは共感してほしい。衛藤美彩の「しゃあしいな」と発するシーン。

この台詞は小説にはありません。「しゃあしいな」は衛藤美彩へのあてがきとなっています。酔っぱらいの親父が、たい焼き屋の近くに置いてある自転車を蹴り飛ばすときに「しゃあしいな」と言います。博多弁ですね。こよみは九州出身です。しかし、映画の中で方言が出ることはありません。唯一このシーンだけ博多弁を発します。博多弁女子って可愛いですよね。生で聞いてみたい。それは置いといて、女性らしさと、女性が1人でたい焼き屋を営むゆえに強さを印象付けるシーンであったと思いました。

衛藤美彩の「しゃあしいな」は、おそらくこの映画だけでしか見れません。

 

5.「静かな雨」の監督中川龍太郎と合わせて語りたい。

私は中川龍太郎監督作品が大好きです。最初に見たのは「四月の永い夢」で、世界観や価値観や雰囲気というふんわりとした概念と直感で彼の作品にのめり込みました。彼の作品は、【面白い!】や【面白くない】という分類で分けれるような作品ではありません。見た後の【道徳観】や【人生観】や【アイデンティティ】を養う映画だと思っています。「わたしは光をにぎっている」や「走れ、絶望に追いつかれない速さで」、「愛の小さな歴史」、「雨粒の小さな歴史」など、どの作品においても共通していることがあると思っています。それは、主人公が言葉や表情で中々自分の思いを表面化しないことだと思います。色んなことに対して、思っている気持ちがあるけれど、それを対相手に伝えることがあまりない傾向が見受けられます。私はそれがすごく自分に合っているなぁと感じています。相手を知る上で、自分を出すより、対相手がどう考えているかという思考が先に働ているのが好きだからです。自分を表面化させない分、考える力が働きます。このシーンで、この台詞で、この表情で、この背景、この景色について、どんな意味合いがあるのだろうかと考えさせてくれます。映画というより詩に近い表現力をもっていると思えます。他の映画には見られない、奥深さや奥ゆかしさといった言葉が似合う映画は、中川龍太郎監督にしかできない圧倒的強みです。若手の映画監督ですが、歴代の有名監督に負けない彼のオリジナリティが私の感性に響いてくるのです。私の表現力と文章力と語彙力が高まっても彼を表現できないでしょうけど。

今回は原作ありきの作品でした。「静かな雨」著者宮下奈都です。原作ありきでもここまで語りたくなるほどの力量とポテンシャルを維持した中川龍太郎監督はこれからも期待できる、楽しみになる作品を作ってくれるだろうと思います。

ただ、原作には、行助の背景がもっと書いてあって、こよみについてももう少し書いているのでそこは表現して欲しかった思いがあります。絶対に行助のおねぇさんは良い人。そして、こよみと仲良くなって楽しく話すシーンがあってもいいなぁ。おねぇさん役には朝倉あきがいいなぁ。夏帆もいいかも。ベッキーもいいかな。黒木華もいいかも。

 

6.まとめ

私が語彙力がなく、文章だけで表現する能力がないことをわかっているのですが、映画「静かな雨」を語らずにはいられませんでした。 久しぶりに、語りたくて書き綴ってみましたが、書いていると、どんどん好きなシーンが出てきて、書きたらないです。もっと、語彙力と表現力が欲しい。でも、ブロッコリーなんか食べてやるよ。あと、たい焼きも食べたい。

 

7.余談・・・

この映画に合わせて、ぜひ見て欲しい映画のタイトルを羅列します。

本作品を見た時に、感じた作品集です。どのシーンで感じるかはあなた次第ですが、どの作品も面白いです。

■邦画編

・わたしは光をにぎっている

四月物語

君が君で君だ

・光(河瀨直美監督)

・天気の子

恋は雨上がりのように

博士の愛した数式

寝ても覚めても

・いちごの唄

・おおかみこども雨と雪

言の葉の庭

■洋画編

エンジェル、見えない恋人

・ラブストーリー

ティファニーで朝食を

・ビューティフルマインド

レインマン

恋人たちの予感

小さな恋のメロディ

はじまりのボーイミーツガール

パーティで女の子に話しかけるには

・ビューティーインサイド

50回目のファーストキス

・アバウトタイム~愛おしい時間について~

エターナル・サンシャイン